反抗期MAXの「ぱぁ~ぷりんす」ウー君と、ストレスイライラMAXのうー母。この先どうなることやら・・(泣)(笑)(怒)の日記ですぅ。

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※ちょっと重い記事です。暗い気持ちにさせるかもですのでスルーOKです。。。

















父の日ですね。。。






母の日に比べて、なんか忘れられる父の日。









うちには、父の日が無縁の時期が続いてます。











私の父は、私が17歳の頃、離婚して沖縄に移住していました。






離婚の何年も前から沖縄に出稼ぎ状態だったのと、私が中学校卒業してから

大阪に行ったので、何年も逢わずにそのまま離れて行きました。









もう、それから約20数年。






何の接触もなく、寂しいとも憎いとも思わないほどの存在。







はっきり言って、存在を思い出したのも、自分が結婚するときと


うー君が産まれた時くらい。。。









そんな存在すらも忘れて、もうすでに父親というものが私の中には

残ってない今。。。。。








3月の初めに一本の電話が。。。









親戚のおじさんからでした。






近くに住んでいながら、父方の親戚だったこともあり、こちらから

連絡をするでもなく、たまに久しぶりに会った時に挨拶をするくらいの付き合い。





お互い連絡先も、もちろん知りません。





そんな、おじちゃんから「電話してほしい」と知人を通じて携帯番号渡されました。





なんで、今まで連絡もしあってなかったのに???



と、思う反面、妹②と同じ意見になったのは・・・


「沖縄ん人んこつやねっ?!」って事でした。





予感は的中。

















癌で、もう長くない。











はっきり言って、ショックはなかったです。



「そーやっちゃ。」みたいな。。。






私たちから離れて行った父と、コンタクトを取り続けていた叔父。



全ての経緯、状況を見てきています。





私たちに気を使いながら、これまでの父を話す叔父。

「やっぱり年を取ったら寂しさが増してきて子供に逢いたい」って言っていると。


別に逢いたいとは思いませんでした。


もう顔も思い出せない長い期間音沙汰なく、もう私たちの中から

消えていた存在。


リアクションの薄い私たちに沢山の父の思いを代弁する叔父。



父が可愛そうと言うより、叔父に悪くて叔父の気持ちの負担を軽減したくて


「別に恨んでもないよ。。」と言うのが精一杯。



ただ、逢うと言うのは簡単ではない。。。


相手は沖縄だから。。。





母子家庭で、必死に働いても貯金も出来ず、ましてや高校入学の重なった時期

だったので、沖縄へ行くことは不可能でした。



それでも、そんな状況・気持ちを汲みながらも、言葉では

「お前達の気持ちが一番やから、無理は言わないけど・・」と

言いながらも、最後に逢ってやって欲しいという叔父の心の声が

ひしひしと伝わってくる。




逢いたい!と言う気持ちは、相変わらずあまり起きなかったけど

なんだかんだ言っても親です。


そして、私も一人の子供の親です。




父という存在を思い出した数少ない思い出。


結婚式の時。

「自分の娘の花嫁姿とか見たいて思ったりするちゃろか・・?」


出産の時。

「あん人にとって、こん子は初孫やどね・・・」




自分勝手な行動で、違う幸せを掴んだつもりだったけど

自分の最後を悟った時にプライドもなにもかも捨てて、

自分を恨んでいるだろう自分の子供に、逢いたいとすがる父。




「許す」ことすら出来ない私。

許すも何も、本当に存在が無なのですから。。。





でも。。。。









父の最期。









その言葉は、やっぱり気になります。





父なのですから・・・・・








父なんです・・・・・・








8月に沖縄で「一万人のエイサー」があります。




それに行くから、逢いたければそれまで生きちょきないよ!




私と妹②の精一杯の返事でした。






その時に、初めて孫という存在の、うー君・トラ・姫を逢わせてあげようと

思いました。




親孝行とかそう言う気持ちではなく


「やっぱ逢いたい・見たいやろうかいね。。」という


・・・・・情ですね。。。。








うー君の卒業式。




たまたま来賓で出席していた叔父。



自分のデジカメを持ってきて、



「これで卒業式の写真を撮んないよ。で、おじちゃんが写真を焼いておくかい!」




すぐに、ピンっと来ました。


父に送るつもりだね。。。。



自分のデジカメはもちろんありましたが、あえて叔父のカメラで撮りました。


まぁ。卒業式はガオ泣きでちゃんと撮れなかったので、その後の謝恩会での


エイサー演舞写真も、それとなく撮り叔父に渡しました。


「エイサー写真には、うー君もトラも写ってる。これを送ってあげて。。」


そんな気持ちでした。







暫くして、叔父から連絡ありました。



「手術するって。喉頭がんやから、もう話せなくなる」









ブログのアドも教えてあげようか。。。それとも私のメアド教えようか。。。









でも、踏み切れませんでした。











8月に逢うって約束したんだし。。。いいやろ。。。。












父は、塗装業してました。



家の中にペンキの缶が沢山あり臭かったです。


大島に仕事に行くときに連れていってもらい、一緒にミナ(貝)取りしました。


歌がすっごく上手かったです。


のど自慢のトロフィーがありました。


自分の行き付けの店を連れまわされました。


どこに行っても友達が多く好かれてる人でした。


正月早々、鼻血が止まらなく洗面器を抱えてました。


おでこが異常に広い人でした。


イカ引きが得意でした。


イカ引き用の疑似餌を作るのに母の服を勝手に切りまくり

怒られてました。


トランプは手加減なし、大人げない戦いをし、妹たちを

マジ泣かせしてました。







そして・・・・・

























本日、父の日に


















本当に居なくなりました。







68歳でした。









叔父が電話で言いました。



「ごめん。叔父ちゃんはお前に謝まらんなんとよ。


 実は、卒業式の写真とかを、お父さんに贈ったとよ。」




「あはは。いいよ。分かってたし。

 逆に、贈ってあげてくれんどか。。って思ってたくらいやし」




「そうか。。。。。ありがとね。。。。













 お父さんよ。。。。








 写真見て、すごく喜んじょったよ!










 お父さんよ。。。

























 エイサーの写真を

















 待ちうけにしてんだよ。。。」








・・もう話せない父に、叔父が



「見たか??写真。


 わかるか??


 こん子達が、おまえん孫やど!」


と言うと、父は携帯をコンコンと叩き返事をしたそうです。








声にならない嗚咽と共に。






見せたかった。。。。孫達。



見せたかった。。。。みんなで舞うエイサー。





そして
















見せつけたかった。

















「あなたがいなくても私たちは育ち、そしてこんなに幸せです」



・・・・・と。









そして、父という存在を無から有に変えたかった。。。








いや。。。。





十分、有になってるかな。。。。。



有だから無くなったんだよね。。。。。








本当に無くなっちゃった。。。。ね。。。。






















一緒に飲みに行ってみたかった。。。。。






流石!俺の娘!!と


言わせる自信ありですっ!



お蔭様で、精神力・忍耐力、そしてなにより






お酒に強い力を頂きました!
















ありがとうございました・・・・・


























お父さん。












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2011.06.20 / Top↑
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